京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/19
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春季休業 3月26日(火)〜4月9日(火)離任式 3月28日(木)10:30〜       始業式 4月10日(水) 8:30〜

伝えられてきたよさを知ろう 〜総合的な学習の時間〜

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ぼくたちは,鉄道と市電について調べました。
まず,鉄道と市電のちがいについて説明します。鉄道は,列車を走らせる交通機関で,市電を市がけいえいしている電車のことです。

昔は,伏見にも路面電車がありました。伏見線という名前です。伏見線は,日本初の路面電車です。伏見線は,びわ湖の水を利用した水力発電所の電力を使って走っています。伏見線は,明治30年に走りはじめて,昭和45年に終わりました。伏見線の中は,はしとはしに入口と出口があって,電気は,はしの上にあり,バスのように前にかがみがあります。
伏見線がなくなった理由は,ふみきりやさくがなく,車と伏見線のしょうとつ事故があったからです。今は伏見に伏見線の記念碑があります。伏見線は昔は電車がなかったので,とても役に立っていたと思います。今では,伏見線の線路を使って,線路の上にトロッコを引いて商品をおいているところもあります。

次に,京阪電車について調べました。京阪電車は,市電で1910年から走っています。京阪電車は今までに,26台も作られているそうです。今では,1970年から2008年に作られた車両が使われているそうです。
京阪は,今もなお進化しているということが分かります。

このように電車は昔からいろいろ変化してきているのがわかりました。
これからもどんな進化をしていくのかが楽しみです。

伝えられてきたよさを知ろう ー総合的な学習ー

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御香宮のことを調べたグループのものです。

『わたしたちは御香宮のおまつりについて調べました。
御香宮は862年にたてられました。

御香宮にはこういう言い伝えがあります。
昔,しんこうこうごうという女の人がいて戦争をするために
隣の国へ行くのですが,その人のおなかには赤ちゃんがいます。
でも,女の人はおなかにおもりをつけ,帰ってきてから元気な赤ちゃんをうみました。
それで,この御香宮は,元気な赤ちゃんをうむことができるとうい安産の神様として伝えられています。

御l香宮の門は桃山城の大手門をうつしたものです。古くからある大切なものがずっと残っていることに驚きました。わたしたちも大事に守っていきたいと思います。

御香宮のおまつりは毎年続けられています。
花がさをかつぎ,お店もたくさん出ます。
私たちも楽しみにしています。

また,御香水は,昔病気の人が神社から湧き出したよい香りの水を飲むと
病気が治ったといういいつたえがあります。
そこで,御香水という名前がつきました。
御香水は京都の名水にも選ばれています。
私たちは名水と呼ばれる御香水が近くにあることはすごいことだと
思いました。

これからも御香水とこの御香宮を大切に守っていきたいと思いました。』

伝えられてきたよさを知ろう

昔の道具をしらべたグループのものです。

『昔の人は手間をかけて,手作業でいろいろなことをやっていました。
 そこで,わたしたちは昔の人たちがどれだけ大変だったかを調べるために
 昔の道具を使ってみました。

 始めに,洗たく板を紹介します。
 せんたくきとくらべると,予想は洗たく板の鵬が時間がかかると思いました。
 理由は全部手作業だし,冬は水が冷たいからです。
 やってみると,手も冷たくてかじかみ,とても寒くてこごえそうになりました。
 でも,洗たく板ですると,とてもきれいになったのでいい所もありました。
 
 次に七輪を紹介にします。
 七輪でお湯をわかしてみました。
 ガスコンロと比べると予想は七輪のほうが時間がかかると思いました。
 理由は七輪の火をつけるのにも時間がかかるからです。
 やってみると火をおこすのに5分でできました。
 お湯がわくまでに25分かかりました。
 ガスコンロでは10分ほどでわくのに,七輪では30分もかかるので,
 毎日することだからたいへんだと思いました。

 昔の人の苦労が改めてわかりました。
 けれど,昔はとてもエコで環境にもいいことがわかりました。
 今のくらしは便利でいいです。
 けれど,昔の生活のよさもあることに気づきました。』

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伝えられてきたよさを知ろう −総合的な学習ー

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「たぬき寺・指月の丘」グループの調べたものです。

『私たちの学校の南西の方角に西運寺というお寺があります。 
 別名「たぬき寺」とよばれています。 
 このお寺は,1596年雲海上人と言う人がたてました。 
なぜたぬき寺と名前がついたかと言うと
たぬきが今のお寺の場所にあった指月の森から毎日遊びに来て
お寺のご住職がかわいがっていたのでいつしか「たぬき寺」と,名前がつきました。
 なぜ今の場所に移動したかと言うと桃山城に秀吉が別荘を建てるから
すべて向島に移動させたので,しばらく向島にありましたが,秀吉が死
んだ後場所が開いていたので,今の場所に移動しました。
 今,お寺のあるこの場所は,指月の丘と呼ばれる場所でした。ここから月をながめ,
おぐら池や宇治川を見わたす景色はすばらしかったそうです。
 昔の人は,指月の丘からきれいな,月を見ていたんだなと思いました。
 私たちは,今もまだ残されている緑豊かな桃山の町をこれからも守っていきたいと思いました。』

伝えられてきたよさを知ろう  ー総合的な学習ー

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子どもたちが調べたことをまとめました。
三十石船・水路のグループのものです。

『わたしたちは伏見港に三十石舟が止まっていることを知り,それがどうして伝わってきたのかを調べました。
 三十石舟という名前は米が三十石積めることからついたそうです。
 十石舟は米を十石運べるそうです。
 この舟は1614年にできたそうです。
 大阪と京都の間で品物を運んでいました。淀川から宇治川に入り,この伏見港で荷物の上げ下ろしをしていたそうです。
 伏見港ははじめからありませんでした。
 宇治川の流れがきつく舟が止められないため造られたものです。
 それに昔の巨椋池は雨が降ったらすぐにあふれてしまって,宇治川もあふれました。 それで,秀吉が宇治川と巨椋池のつながるところをせきとめて,あふれないようにし,宇治川の新しい流れをつくりました。
 そして,さらに宇治川の流れをかえて,お城へ品物を運ぶ水路をつくったのです。その水の調節は宇治川につなぐところに「みすこうもん」というところがあって,そこで水が多い時はへらしたりしたそうです。
 水路がつくられたことで街がさかえました。
 それで伏見の酒造りも全国に広まりました。
 でも,今は舟で荷物を運んだりしていません。人を運び観光のために運航しているそうです。
 わたしたちは,こんな歴史の深い伏見に住んでいてすてきだなあと思います。』

まとめ

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いよいよ3年生の学年の学習も
最終まとめになりました。

図画工作科では作品バッグに
好きな絵(まとめとなるような絵)
をかいて作品を持ち帰ります。

お家で一年間の作品をみてあげてください。

頑張ってかいたとっておきの作品をしばらくどこかに飾ってもらえると
なおすてきですね。

お家の方にほめてもらうことで,きっと4年生からの励みになるはずです。

よろしくお願いします。

図工 木版画

はじめての木版画に取り組んでいます。

彫刻刀の持ち方も
慣れなかったのですが
だんだん手つきもなれ 
楽しんで取り組んでいます。

今日は,カラーインクで印刷しました。

楽しんで印刷していました
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昔の道具を使って

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 社会の学習で洗濯板を使って洗濯する体験をしました。子どもたちは初めて使う道具に戸惑いながらも楽しんで学習していました。「手がつめたい。」「昔の人は苦労したんだな。」という声があがっていました。

6年生を送る会

 6年生を送る会がありました。3年生は普段お世話になっている6年生にお祝いの言葉と「また会う日までさようなら。」の歌を送りました。一生懸命練習した成果が出てとてもいい贈物になりました。
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エンドボール

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今日の体育の時間はエンドボールでした。
エンドボールは3年生になってから,チームを変えて2回目なのですごく積極的に動けるようになってきました。
はじめはボール運動が苦手だと思っていた女の子も「はい,はい。」と声を出せるようになってきました。
チーム内で作戦を考えたり,指示を出す声もたくさん聞こえてくるようになりました。

とても良いお天気だったので,汗をいっぱいかきました。
エンドボールもそろそろ終わりです。チームで力を合わせてがんばって欲しいです。
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