最新更新日:2024/04/24 | |
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小学校課程修了式 式事
小学校課程修了式では次のように式辞を述べさせていただきました。
式 辞 春の訪れを待ちわびたかのように、小鳥のさえず りが日ごとに増し、円山公園の桜もつぼみを緩ませ ています。 本日、多数のご来賓並びに保護者の皆様方にご 臨席を賜り、東山開睛館初の小学校課程修了式が、このように盛大に開催できましたこと、心よりお慶びと感謝を申し上げます。 ただ今、百四名に小学校課程の修了証書を授与 いたしました。六年生の皆さん、誠におめでとう ございます。皆さんは本日をもって開睛小学校か ら開睛中学校へと進まれます。すなわち東山開 睛館の中学校課程に進級されるということになり ます。 今を去る六年前の四月、ピカピカの一年生が、桜の花に彩られた小学校の門をくぐりました。あれから二一七〇日。早いもので、もう六年経ちました。昨年、皆さんは五つの小学校からこの東山開睛館に来られ一年間を経て本日、本校初の小学校課程の修了生となられたのです。 さて、私は皆さんと一年間を共に過ごす中で、毎日の学習はもちろんのこと、学校行事や部活動など、それぞれに力いっぱい取り組む姿を目にしてきました。体育大会での組体操や、合唱コンクールでの学年合唱。学習発表会での取組、そしてみんなで応援した大文字駅伝等、小学生の最高学年としての誇りにかけて懸命に取り組んでこられました。 けれど、小中一貫校であるために、学校としての最高学年は九年生であり、様々な場面で中途半端な思いを持たれたのではないでしょうか。 また、小学校から見知らぬ中学校へ行き、他の小学校の人と出会うことから始まる中学生としてのスタートもありません。その意味では緊張感も少なく、気持ちを新たにするということの難しさを感じられているのではないでしょうか。 その反面、早くから中学生とともに学校生活を送ることで、見通しを持って学習や生活がしやすくなっています。部活動などでは、すでに中学生とともに練習に励んでいる人もいます。そのような本校の良さをいっぱい活かして、開睛館ならではの充実した学校生活を送ってほしいと思います。 東山開睛館は小中一貫校であり、日本の国が皆さんに社会で生きていくために必要となる教育を行う学校、すなわち義務教育学校であります。ですからこの学校を卒業した時には、独り立ちして社会で生きていけるようでなくてはなりません。 そのためには勉強をして賢くなることも大切です。強く逞しい身体を鍛えることも大切です。そしてそれらと同じくらい、大切なことがあります。それは社会のルールを守り義務と責任が果たせるようになることです。 私たちは、だれもが一人では生きられません。多くの人がそれぞれの役割をになって生きています。大人になるということはその役割の一つを受け持つということに他なりません。 人と人とがお互いを尊重しながら共に生きていく、そのためには相手を思いやる優しい気持ちが必要です。人に認められ、愛される存在になってください。 あなたがそこに ただいるだけで その場の空気が 明るくなる あなたがそこに ただいるだけで みんなのこころが やすらぐ そんなあなたに わたしもなりたい あいだみつおさんの心にしみる詩です。 一人の少年のお話をします。 ある少年は小学校五年の時に突然 筋ジストロフィーという病気が発症しました。この病気は筋肉が衰えてだんだん自分で動くことができなくなり死に至る病気です。少年はやがて歩けなくなり、学校にも通えなくなました。そして、病院に入院しました。本人には病気のことは詳しく伝えられていなかったので、少年は早く治して学校に行きたいといつも言っていました。 やがて、お母さんに本を読んでもらうことがただ一つの楽しみになりました。なぜなら自分の手で本を持つこともページをめくることもできなくなってきたからです。 やがてこの少年は登校できないまま、小学校を卒業しました。ただひとり病院の中での卒業式です。先生や友達が大勢来てくれました。何とか中学校に行きたい。そのことがただ一つののぞみでした。けれどいつまでたっても病気が良くならない。よくならないどころか話すこともままならなくなってきたのです。 少年は自分でご飯を食べられないことから、お母さんそして看護師さんにスプーンでご飯を食べさせてもらっていました。けれどある時からご飯を食べなくなってしまったのです。スプーンを口に近付けても口を開こうとしないのです。みんな心配しました。好きなものだったら食べるだろうか、柔らかいものがいいのだろうか、と周りの人はみな心配しています。けれど少年は口を開こうとしません。それどころか目まで閉じて見ようともしません。少年は死にたいと考えていたのです。みんなの世話になるばかりで何もできない自分が生きていることでみんなに迷惑をかける。お母さんやお父さんにもつらい思いしかさせられない。そう考えたのです。でも死ぬこともできません。なぜなら体を動かすことも何もできないからです。少年は考えました。食べなければ死ねると。 ある時お母さんがスプーンを片手に一生懸命食べてほしいと話しかけているとき、思わず涙を流してしまいました。その涙が少年の顔にかかった時、少年は暖かいものを感じました。驚いて目を開けると目の前に泣いているお母さんの顔があるではありませんか。そのとき少年は気付きました。「自分がご飯を食べることでお母さんが喜ぶ。自分が生き続けることで人を喜ばせることが出来る。生きられる限り生き続ける努力をしよう。それが自分の生きている証しなのだ」と。 少年はそれから二年近くを生き抜き、中学三年生になる前に残念ながら亡くなりました。 私はこのお話しを十五年ほど前にある本で知りました。そして改めて「命の尊さ」、「生きるということの意味」、「人のために役立つということ」、そして「感謝」について改めて考えさせられました。 小学校課程を終える今日の日をみんな元気に迎えられて「おめでとう」なのです。 今日という日を感謝の日にしてください。保護者の皆様には皆さんを慈しみ来る日も来る日も愛情を注いで育てていただきました。その保護者への感謝。そしていつも温かい目でみなさんを励ましてくださっている地域の皆様への感謝。友達や先生方にも感謝の気持ちを持っていただきたい。これが私の願いであります。 さて、子どもたちの晴れ姿に感慨ひとしおの保護者の皆様、長くもあり短くもあった六年間の小学校課程を終えられ、今日を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。この一年でお子たちは大きく大人に近づかれ、悩める思春期に確実にさしかかっています。この時期はよくハンドルのない自動車に例えられます。エンジンはよく動くのですがコントロールがじゅうぶんにできない。一見しっかりしているようで、強がりを言ったり、人の話を聞こうとしなかったりします。大きな事故を起こさないようにハンドルがつくまでの間、学校と家庭が手を結びあってがっちりとガードレールの役割をしていきたいと思います。ご家庭では一層、親子のコミュニケーション、心の絆を大切にされ、子どもたちを温かく支えてくださいますようお願いいたします。 結びになりましたが、ご来賓の皆様方には、公私ともご多忙の中、多数ご臨席を賜わり、誠にありがとうございます。子どもたちが本日を迎えられますのも、皆様方がそれぞれの立場からご支援くださいました賜と、心より感謝申し上げます。今後も子どもたちを見守り、育てていただきますようよろしくお願い申し上げます。 これから三年間のご健闘を期待し、式辞といたします。 平成二十四年三月十九日 東山開睛館 校長 初田幸隆 |
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