京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2019/03/28
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3月25日(月)26日(火)は紫野小学校で統合式の練習を行います。

楽只っ子十か条の最後は…

 楽只っ子十か条の最後は,「準備を整え,授業でしっかりと学ぶ」です。私たち,公立小学校の使命はやはり,学力保障・学力向上です。通常授業だけではなく,学校での日常生活や学校行事などすべてにおいて,「個の力を最大限に伸ばし,『生きる力』を育成する 〜児童の課題を明らかにし,一人一人を徹底的に大切にする教育の推進〜」という,学校教育目標実現のために努力しています。
 しかし,教育活動の中心になるのは,やはり通常授業です。子どもたちが,45分の授業の中で確かな学力を獲得してもらえるように教材研究をし,授業展開や授業形態,発問や資料の提示の仕方・板書を工夫しています。児童が,知的好奇心を掻き立てられ,意欲をもって学習に取り組めるように,教師が努力を怠ってはならないのはいうまでもありません。たとえ難しくても,根気よく取り組み,「わかった!」「楽しい!」と思ってもらえることが,私たち指導者の責任です。「わからん」「面白くない」という声が出るようであれば,私たちの努力が足りないということを,児童が訴えているのだと考えます。
 一方で,子どもたち側にも,学習に向かう準備を整えてほしいと願っています。まず,十か条の最初に掲げた「早寝・早起き・朝ごはん・集団登校」に代表されるように,学習に向かうための体調管理が大切です。寝不足,空腹の状態では,集中力も続かず,学習への意欲は大きく減退します。また,欠席がちであれば,学習内容の補充や定着が難しくなります。この点は,ご家庭の協力が不可欠です。
 次に,学習に必要な教科書やノート,時にはリコーダーや絵の具,習字用具,筆記用具などが整っていなければ,授業に参加することができません。子どもたちは,準備物がないというだけで,不安になったり,学習の意欲が削がれたりします
 私たちは,年間で1000時間余りも受ける通常授業を,一時間一時間大切に考え,これからも取り組んでいきます。

憲法月間に寄せて

 憲法月間に寄せて、先日の朝会でした、お話の内容を紹介します。
 5月3日は,憲法記念日という祝日です。今からおよそ70年前に,日本の大本のきまりである憲法が,使われ始めた日です。そのため,5月の一か月間を憲法月間として,みんなで憲法のことについて考えよう、憲法から自分たちの生活を見直そうというものです。憲法というのは,みなさんのクラスにも,こんなクラスにしたいというめあてがあるように,日本もこんな国になりたいと考えて決めた,国のめあてのことです。
日本のめあては大きくは3つあります。
一つ目は,だれもが,気持ちよく過ごせる国になろうということ。
二つ目は,他の国とは絶対戦争をせず,世界中が平和になるようにがんばる国になろうということ。
三つ目は,なにごとも,みんなで話し合って,決めていく国にしよう
です。
 さて,今日は,「だれもが気持よく過ごせる国になろう」という一つめのめあてについて,みなさんにも考えてほしいと思います。
 「いじめ」という言葉をきいたことがありますか。理由がある,なしにかかわらず,だれかがだれかにいじわるをしたり,いったりすることで,相手の人を大変苦しめる行為です。時には,自分が相手を苦しめていることに気付いていないような場合もあります。あるいは,知らず知らずのうちに,いじめる側の応援をしているような場合もあります。
 今日は,小学校4年生の時に,そんなつらい思いをした中学生の作文の一部をみなさんに紹介します。このあと,みなさんのクラスでは,こんな苦しい思いをする人がいないように,どんなことをしていけばいいのかを考えてみてください。では,作文を紹介します。
 
「今日も,教室でいじめられている人がいる。その人は,いつも教室の片隅で好きな本を読んで,周りの人の声を聞かないようにしている。誰かに悩みを打ち明けることもなく,誰から励まされることもなく,心を閉ざして,重くつらい一日が早く過ぎ去ることを願いながら,本を読んでいる。」
「その人は,小学校4年生の時の僕です。いじめは,とても卑劣なことで,卑怯なことです。今考えても,なぜいじめられていたのか全くわかりません。」
「いじめは理由があるから起こるのでなくて,する人がいるから起こるのだと思いようになってきました。つまり,なにも悪いことをしていない人に対しても,容赦なく降りかかってきます。その人の生まれもった身体や名前のことについて様々な悪口を言われたり,勝手な理由で暴力を振るわれたりする最悪の行為です。僕へのいじめは,自分の持ち物を隠されたり,変な内容の手紙が机の中に入れられたりするものだったのです。」
「僕は,思い切って先生に相談してみることにしました。先生は,話を最後まで聞いてくれて,重く受け止めてくれる人だったからです。先生に話した時,とても驚いた様子で,「気付かなくてすまなかった」と言いました。」
「幸いなことに,それ以降,僕に対するいじめはなくなりました。しかし,今日もどこかでだれかがいじめに合っているのではないかという不安が頭をよぎります。」
「僕は,先生に打ち明けた時に,自分の気持ちを聞いてくれたことが,本当にうれしかったです。そして,もういじめがなくなると思うと,心の底から安心したことを今でも覚えています。だからこそ,今僕は,つらい気持ちを抱えている人に声をかけ,助けになりたいと思っています。人と接することで,気持ちがやわらぐといいなと考えています。」
「いじめは,集団の中で起こります。だから,いじめが起こった時,一番早く気づき,一番力になれるのが,同じクラスの人であり,同じ学年の人だと思います。ほんの少し,クラスや学年の人たちが勇気を出すことで,いじめはなくなると思います。僕はそんな勇気のある人間になりたいです。」
「人の心を深く傷つけ,時には取り返しのつかない道を選ばせてしまう,そんな卑劣な行為を許さない仲間でありたい。」

さて,どうでしたか。
憲法では,「だれもが気持よく過ごせる国」をめざしているはずなのに,みなさんのすぐそばで,いじめを受けて,悲しい思いをしている人がいるとしたら,残念ですね。手紙にもあったようにいじめにいろいろな形があります。その人の持ち物を隠す,たとえば,靴や消しゴムなどです。そのほかにもいじわるなことを言う,周りの人が無視するなどなど,とにかく相手がいやだと思うことをすることです。時には,やる側はそんな気持ちがなくても,やられている人が,いじめられていると感じているということもよくあります。いじめを決して許さないクラスにするためには,一人ひとりは何ができるのでしょう。みなさんも考えてみてください。

楽只っ子は、やってみよう,挑戦しよう!

 子どもたちの中には,すぐに「わからん!」「どうせできひんもん!」「もう,あかん!」と投げ出してしまう子がいます。中には,「わたし,あほやもん」と自己評価が極端に低い子もいます。人は,「できない」経験や失敗経験があまりに重なると,あきらめたり,自暴自棄になったり,期待や夢を持てなくなったりします。こんな子どもに出会うと,学校教育に携わる者として,自分たちのこれまでの指導を強く反省させられます。
 また,子どもたちはできなかったことを叱られると,叱られることから回避するために,初めからやろうとしません。大人の私たちでも,一つや二つ,苦手なことや初めからあきらめていることはないでしょうか。そのいくつかは,ひょっとすると子供のころの苦い経験が元になっているかもしれません。克服するために挑戦するのではなく,知らず知らずのうちに失敗を恐れて回避しているからかもしれません。誰かに怒られたことが心に残り,二度とやらないと決めてしまったのかもしれません。「失敗を生かして」とか「不屈の精神で」などというのはやさしいですが,そんな心の強い人ばかりではないでしょう。
 以上のことを踏まえつつも,子どもには,食わず嫌いにならず,いろいろと挑戦して,自分の力試しをしてほしいと願っています。挑戦することで初めて気が付くことや,感じられることがたくさんあります。世の中,うまくいくことばかりではないということに気づくかもしれません。一方で,こんな楽しいことがあるのかと気づくことができるのもやってみたからこそです。楽只っ子十か条の九つ目に,「何事にも挑戦し,自分から積極的に行動する」という項目を入れたのは,そんな願いからです。
 周りの大人は,どのように見守ればよいのでしょう。大人からすれば,「なぜ,こんな簡単なことができないのか」「さぼっているからできないのだ」などと考えがちですが,子どもにとっては,果たしてそうなのでしょうか。叱ることや,鼓舞するために厳しい言葉をかけることが効果的な場合もあります。しかし,私の経験から,その方法は,かなり上達して本人がさらに高みを目指して挑戦したいという思いをもっている場合でないと,うまく機能しないように思います。ある程度基礎ができるまでは,根気よくほめて,成就感や達成感をたくさん味わわせて育てるというのが効果的なようです。厳しく叱るのは,自分も親からもそう育てられてきたからだと理由付けをする人がいますが,親と子は,違う人間なので,自分の経験知だけでは,うまくいかないことがあることを知っておくべきです。これが,「親業」の難しいところです。親も子も前向きな学びが必要だということでしょう。

人前で堂々と話せる子に

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楽只っ子十か条の八つ目は、「人前で堂々と話す」です。
自分の考えをきちんと説明できる力は、大人になってもとても大切です。特に、小さな集団で慣れ親しんでいる子どもたちにとっては、単語で話せば意が通じるという一面があります。大人数の前で話す機会の少ない子どもたちは、人前に出ると萎縮してしまったり、いつもの力を十分に発揮できなかったりするという弱さをもっています。だれでも大勢の前で話すのは緊張します。そんな中でも、「堂々と自分の考えが述べられる」子になってほしいと願っています。
学校ではまず、隣の人に。次に、学級全体に。さらには学校全体にというステップを踏んで話をする機会を設けて行きたいと考えています。一つ一つの機会で、達成感や成就感が持てることが大切です。学校では、子どもたちに様々な話型も教えています。教室内での話し方、集会での話し方、放送を通じての話し方、大人への話し方、場に応じた話し方などなど、一つ一つ蓄積していく中で、自ら使える表現が徐々に増えています。地道な作業ですが、根気よく続けていきます。

※掲載の写真は本文とは関係ありません。本日の朝休み、広い運動場で遊んでいた子どもたちの様子です。広い運動場を一人占めして、サッカーに興じる子供たちです。思う存分走り回れるスペースがあることは、小規模校のいいところです。
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