最新更新日:2024/04/01 | |
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洛陽高校 『洛陽新聞』
『洛陽新聞』の前身である『京工新聞』は、校内のあらゆる機関から独立した存在であるべきであるという趣旨から、新聞は独立採算制がとられました。1部5円の売り上げ収入と広告収入、先輩たちからの寄付で運営されていました。経営は豊かではなかったようですが、黒字だったと記録されています。
『京工新聞』は9か月間に10回発行され、再編成で洛陽高校が発足すると『洛陽新聞』に発展的に解消されました。(洛陽工高百年史より引用) 洛陽高校 『京工新聞』発刊
戦後初めての学校新聞『京工新聞』は、昭和23年(1948年)1月に発刊されました。生徒の有志が刊行を提案、教員3名、生徒13名で発足しました。当時、紙は配給制で高価、入手困難だったようです。資金は色染・紡織のOBの寄付により目途がついたものの、適当な印刷所が見つからず大阪まで印刷所探しに出向いたそうです。
さまざまな困難を乗り越えて『京工新聞』創刊号は1月26日に発刊、発行部数は1600部だったと記録されています。(洛陽工高百年史より引用) 洛陽高校 展覧会から工展・文化祭へ
洛陽高校が発足して第一回の展覧会が昭和24年(1949年)に開催され、翌昭和25年には新聞部、鉄道研究部、山岳部、美術部、木工部、天文研究部、茶道部、華道部、エスペラント語研究部、速記部などが参加したと記録されています。
昭和26年には参加クラブ部は急増、鉄道研究部の模型電車、聖書研究部の世界各国の聖書展示などが注目を浴びました。昭和31年(1956年)には工展が復活、以降は工展・文化祭同時開催となり文化展はクラブの活動状況の公開の場として定着しました。(洛陽工高百年史より引用) 洛陽高校 工展・文化展
洛陽高校時代も創立記念祭の中心行事は、工展・文化祭でした。文化祭は当初は記念展覧会という名で創立記念運動会とともに同時開催されていたようです。洛陽高校が発足して第一回の展覧会は、昭和24年(1949年)11月18日から1週間、図書館を会場に各クラブが参加して開催されています。美術部・書道部・手芸部・写真部などは作品を展示、歴史研究部は学校周辺の風土記・法隆寺をテーマにした資料・文献の展示を行い、紡織科・家庭科の各教科も工場を開放して一般公開しています。※写真は昭和34年の華道展のものです。(洛陽工高百年史より引用)
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