最新更新日:2024/09/26 | |
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京都市立砂川小学校「学校沿革史」詳細京都市立砂川小学校「学校沿革史」概要
本校の正面玄関には,知・徳・体をバランスよく育むことを象徴した,砂川教育のシンボル「砂川の子」の像が置かれている。
ここに刻まれている「強く伸びよ 砂川の子ら」という言葉には,昭和28年の寄贈当時からの,保護者・地域の方々の子どもたちへの熱い願いがこめられている。 <本校の概要> 砂川小学校は,京阪深草駅の西隣にある。本校は,昭和12年に「深草第四尋常小学校」として誕生した。昭和初期に,この深草の地が住宅地として発展し,急速に子どもの数が増え,当時の深草第一尋常小学校(現・深草校),深草第二尋常小学校(現・稲荷校)から独立した。 校下には,かつて京都十六師団の練兵場があったが,今では住宅地や大学に変わり,わずかに道路の名前等にその名残りをとどめている。 「砂川」という地名は,今では公称町名にはないが,直違橋五丁目から,十一丁目までの古い総称地名でもある。付近を流れていた川の名前から“砂川”と呼ばれ,旧家の文書には“砂川の船場師”とか“砂川の若い者”などとの記述が見られ,「都市域各町史」には,“霊元院法王,仙洞御所の修理の際,この川筋より砂を運んだ処から砂川と称る。”という記述もある。 砂川は,源流を二石山(稲荷山の奥)に発し,北は稲荷山,南は霞ヶ谷から流れ落ちる川が合流して,一本松からまっすぐ竹田まで流れ,高瀬川に注いでいる。現在はほとんど暗渠になり,わずかに本校の南にその流れが見受けられる。 また,足利時代までは,ケナサ川と呼ばれていた。それは昔,稲荷山山麓の丘陵地帯から相当の土砂を流し,下流一帯を砂原にしたことから,無毛,すなわちケナサと呼ばれたと言われている。ちなみに,学校住所の公称町名であるケナサ町はこの町名から付けられたと考えられる。 |
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