最新更新日:2024/09/12 | |
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ひとへの「想像力」
「ひとへの『想像力』」
先日、校区にある朝鮮初級学校の「民族教育70周年記念祝祭」に行ってきました。戦後間もない時期に京都で始まった民族教育、時代の大きなうねりの中で、さまざまな波を乗りこえての70年間でした。そんな学校が4年前に、ここ宮山に移転してきました。開校式典の時には宮山校のサッカー部と国際親善マッチ?!を行い、テクニックで宮山小が圧倒されたのを覚えています(ちなみに朝鮮の国技はサッカーです)。それから毎年、学芸会で素晴らしい踊りを披露してくれたり、学年で交流をしたり、研修会で朝鮮学校から先生にお話しいただいたり、さまざまな結びつきを重ねてきました。 現在、政治的に国どうしの関係には難しい状況は続いていますが、そんな匂いはみじんもない雰囲気で、同じ地域で学び、生活する「なま」の人間の姿がいっぱいありました。会場には、民族教育の歴史の重みや、それに関わってこられた人々の熱い思いや願いがあふれ、高等部の生徒の語り、そして子どもも職員も一緒になった合唱など、その場にいるだけで感動がこみ上げてくるような式典でした。 私は、小さい頃、朝鮮・韓国の方々が多く住む地域で育ちました。小学校で最初に友だちになり、初めて殴り合いのけんかをし、でも一番よく遊んだのがSくんでした。育ててもらっていた祖母から、あの子は実はな…と話を聞いていて、薄々感じていましたが、何にもわかっていない年頃でした。そんな中、4年のある日、Sくんが「あんなあ、おれ日本とちゃうねん…」と、ぼそっと打ち明けてくれたのです。「知ってるで…」と言いながら、どう答えるか困ったのを覚えています。そのあとすぐ、私は急に転校することになりました。新しい家での生活にウキウキして、その友達の事どころではなかったのですが、半年ほど後に、祖母からこんな話を聞きました。 「Sが、何回かやってきて、はただ(私の名)いますか?と聞くんや…、転校したで、というと、いつも涙をうかべて帰っていくんやで…」 数年後、Sくんの家を訪ねましたが、空き家になっていて、その後は音信不通です。 個人的な話になりましたが、朝鮮学校の行事に行くと、いないと思いながら、いつもSくんのことを探してしまいます。父としての彼の姿を思い浮かべながら…。 さて、時代は大きく移り変わりました。グローバル化が急激に進み、世界の距離はどんどん縮まってきているように感じますが、今もなお偏見や差別意識に満ちた問題や事件は、世界や日本のあちこちで起こっています。さらに、ネット社会の広がりや時代の手づまり感の中で、口に出すべきでない言葉など人々の潜在意識の中にある負の部分が、大手を振って世の中にあふれかえってきている現状に、ある種の「危うさ」や「きもちわるさ」を感じるこの頃です。 そんな「同じ人間どうしの間に壁をつくる」考え方には、致命的に欠けているものがあります。それは、一人一人の命のある「ひと」の体温や匂いを感じることなしに、大まかな「くくり」の中で、個人を飛び越してものごとを決めつけてしまう「想像力の欠如」です。空爆の下にいる子ども達の痛みや悲しみを考えることができる想像力のなさや、他人を憎しみを込めてネット炎上させて憂さ晴らしをしている人々の愚かさは、まさにその現れではないでしょうか。 学校という場は、勉強も大事ですが、一人一人の子どもどうしのかかわりを通して、お互いに「ひと」として高め合っていく場です。そして「いのち」の温もりや「ひと」とのつながりを感じられる「想像力」を、仲間との体験を通して育てる場です。未来の子ども達の姿を想像しながら、そんなことを大切にしていける学校にしたいな、と考えるこの頃です。 |
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